■くまにきゅっとされる北構さん
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わーいイチゴ大福 |
迂闊にもインタビュアーを変人扱いした北構さん、ここらでくまにきゅっとされていただくことにしました。
ゆるインタビューは続く…。
■変態の中に入れば変人も普通に見える相対性の恐ろしさ
北:でも、大変じゃないですか?そういう(変態勢と変なものを創る)のやっていくのって…。
金:うーん、でも楽しい?んですよね。
北:マラソンとか登山と一緒で辛いけど楽しい!みたいなことなのかな?
金:かもしれないです。
後、チームの皆さんが突き抜けすぎてて、ついていくのにやっとなんですけど、興味深くて抜けられないというか(笑)
北:お話を聞いていると、やり始めると止められないっていうのは感じますね。
金:そうなんですよね…。
ちょっとだけ見ていこうかな、って扉を開けて、1歩踏み出したら、床がなくてその世界から抜けられなくなったっていうか…。
変態さんたちに引きずり込まれたっていうか…。
北:あはは(笑)
でも、マラソンとかと一緒で、実業団の選手と走っていると普通の人も速くなる、みたいな効果はありそうですよね。
金:マラソンだと例えが良いですけど、変態度だとどうなのか…(笑)
プログラミングとかハードウェア設計とかで考えると、全然「速くなる」とかってこともなかったですね(ガックシ)
やはり皆さんプロレベルなので、普通の人、というか、凡人がちょっとご一緒した程度では変わりはなさそうです。
一朝一夕で身につくものではないですね。
でも、そういう変態さんたちとのコミュニケーションスキルは身につくものがあったかも(笑)
私が入ることで、ユーザーへのとっつきやすさとか、普段の生活に、新しい何かが浸透していくシーンを考えることはできるかもしれないですけど…。
ああ、お話してるとやっぱり思うんですけど、北構さんは言語化能力が高くて、安心して喋れています…変態じゃないとはいいませんけど…(笑)
北:ええっ(笑)
うーん、でも翻訳に近いかもしれないですよね。そういうスキルって。
やっぱりギークな人たちはその人達の文化や言語で突っ走るから。
橋渡しと考えると、まさに翻訳だと思います。
金:そうですね、変態の言いたいことを如何に変態っぽくなく包み隠しながら伝えるか…(笑)
北:あははは(笑)
■伝える手段の多さが生み出す成果
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イチゴ大福うましうまし |
北:話はまたコミュニケーションというか、表現手段の話に戻しますね。
今日、お話をしていて、やっぱりネット上での文字情報の整理は、もうある程度成熟したなと思いました。
音声や触覚や違うものを考えてみると面白いというか。
データ分析って定型、一種類、とかから、非定型、複数種類って変わってきたので、そういう変化を迎えているんだと思います。
Googleもやっぱり解析して、結果から、何か違うことを導き出すんだろうなと思います。
文字の整理をして、画像・動画の整理と、目から入るものはある程度できたから、次は音声、次は匂いというようになってくのかもしれないですね。
将来的には、身振り手振りみたいな身体的な動きをGoogle的に整理しだすかもしれない。
そういう一種情熱を通り越したクレイジーさみたいなのがあって、以前はもっと顕著だったんですけどね。
あらゆるモノ・コトを整理したがっているのかなと思いますね。
まだ顕在ですね。
金:うーん、そうですね、最近は価値観と時代の再構築の時期かなと思うところがあるので、整理は重要かもしれません。
新しい価値を考えるために、一度カテゴライズも含めて再構築が必要だと感じているひとが多い気もします。
新しいものと出会ったときに、自分が従来の価値観でいるなと思うことがあります。
北:僕の知り合いで、大学出て自分でウェブを作って生計を立てている自称ニートの友達がいて、最近はバイラルメディアのサイトを運営して食べてるみたいなんです。
彼が言うには、人間の感情の喜怒哀楽のうち、最もスイッチ押しやすいのは「怒」と言うんです。
人を怒らせる記事はあまり原稿を書き慣れてない人でも書きやすいし、読者からの反応が大きいと彼は言います。
泣かせる記事も読者の反応は高いんですけど、書くのが難しいみたいです。
で、読者を喜ばせるのは最も難しいとも言ってます。
お年寄りを大事にしない話とか、男女間での「相手がわかってくれない」話とかの怒りって喜怒哀楽の中では作りやすいみたいなんです。
バイラルメディアはコストをかけずに集客しやすいと言われますが、それは人間の感情を刺激している側面があるからと教えてもらいました。
一方で、感動させるとか喜ばせるっていうのは難しい。
創作ではなかなかできない。
怒りってスイッチは押しやすくて、普段の不満やストレスに乗じて爆発させやすいし、押された本人はコントロールしにくいので、なかなか押さえられない。
ネットとか、そういうメディアに慣れていない人たちが触れると難しいものみたいですね。
北海道の熊の話でも、「撃っちゃダメ!」みたいにいう人が居たりするんですけど、一方で現地で暮らしている人にとっては死活問題かも知れない。
ネットが普及してから、そういう背景情報とか事情を汲めずに、一方的に見て怒ってしまう人が出てきている。
そのエネルギーをポジティブな方向へ使ってほしいなと思います。
金:なるほど。メディアとしても、そういうバイヤスをかけやすいのかもしれないですね。
私は自身の仕事では、新しい価値創出のために生活者の生活実態を見て、多角的に情報をとって、文脈や背景の中で事象を捉えて、というのを支援しています。そうすることでバイヤスがとれて、ものごとを新たな観点でみることができることもあるんですね。
それでもバイヤスを取り除くのは難しいですが。
怒り…ねえ、多角的に物事を観るって才能というか、スキルというか、結構難しい気もしますが、ポジティブな方向へ向けるのってどうするんですかねえ?
北:うーん、難しいですよね。
白黒付けたい人が可視化されるようになったとは思います。
僕の中では、ネットってグレーは伝えづらい手段な気がしていて。
文字や情報量多いと全体像が捉えきれなくなる。すると、概論ありきで箇条書きにしたり、結論をすぐにつけたがる気が。
そういう意味でもコミュニケーションは機微を大事にするために表現手段が多くあるべきと思うんですよ。
昔、ポケベルって数字の羅列とかだったわけですけど、今は暗号みたいに思えますよね。
もしかすると未来から見たら、文字だけで表現とか、暗号みたいだねってなるかもしれない。
将来はもっとリッチで機微が多く伝えられる世界になるかもしれないですよね。
金:ああ、なるほど。
北:文字の世界から飛び出したり、ディスプレイじゃなくなるのかもしれないです。
今だったら技術も追いついてきているし。
金:そう思います。
■くまきゅが面白い理由
金:ああ、で、くまきゅの話をしてないですね(笑)
北:あ、そうでした(笑)
きゅっとしますよ(笑)
金:おお、していただけるんですね(笑)
ところで北構さんは何故くまきゅを面白いと思ってくださったのかは知りたいなと思っていたんですよ。
実は私はくまのぬいぐるみに熱烈に愛着があるわけでもかわいいと思うわけでもないんですよね…。
北:ああ、かわいい!ってならない人なんですね?
金:人形とかもやや苦手かも…まあ、知らないだけかもしれないんですけど。
北:ホラーっぽい感覚ですか?
金:うーん、そうなのかな?人型だけど人じゃないからじゃないですかね?
人形がお好きな人の感情の大きさも私にはまだないですしね…。
犬とか猫とか、赤ちゃんとか、現実のものは好きですが。
北:ほおー。
金:考えたくせに言っているのはちょっとあれなんですけど、くまきゅはなぜ面白いと思ってくれるのかな?と。
北:ああ、癒しなのかもと思います。
テレノイドは体験してみて、すごいよかったんですけど、実は自分は疲れているのかなって思いました(笑)
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熱烈っぽく見える |
ぎゅーっとすると、なんか、ストレスみたいなものがじわーっと溶けてく感覚がありましたね。
金:癒しですか…。
癒しってなんですかね?
北:うーんなんでしょうね?
欠け?ささくれ?難しいですね。
金平糖みたいにとげとげしたものを丸くするのかな?
欲求不満みたいな感覚なのかな?
金:ああ、似たようなことは思いました。
原始的な意味でのふれあい欲求みたいなものかなと。
反応するのは子供と男性が多い気がしたので…見てくれる場に男性の方が多いというのはありますが。
北:ああー。
ストレスっていうか、もやっとしているんですよね。
埃の塊的な。
胸につかえてきたら吐くと楽になる、みたいな。
金:あはは、面白いですね。猫を飼っていらっしゃるから…(笑)
北:テレノイドもそうだったんですけど、瞬間的な「おお、これいい!」じゃなくて、じわじわいい、みたいな感じなんです。
ぬるいお風呂入ってるみたいな。
テレノイドは、可能ならずっとこのまま抱いてたいなーみたいな感覚もありましたね。
金:ああー…なるほどですね。
北:うーん、もう一方で、思うのは、アニメの普及みたいな感覚ですね。
昔ほど嫌がられてなくて一般的になってきたというか。
若い人もライトにアニメを見るということを楽しむし、大人だって、好きだといっても嫌な顔はされないようになってきた。
アイドルもしかりですよね。
だから、いい大人がぬいぐるみを抱きしめて癒される時代になっていくのかもしれないですね。
金:そういうものに近いのかもしれないです。
くまのままいかないかもしれないですけど。
くまが適切ならくまですけど。
吉崎さんとも「ねこきゅ」とかでもいいなとは言ってて(笑)
あ、それはあまり本質的じゃないですけど。ペン型とかでもいいんですよ。
北:猫型かも?(キラキラ)←猫好き
金:にくきゅ!って吉崎さん言いました(笑)
■もうお前はテレノイドを見に行くしかないんだ
北:でも、テレノイドって…
金:みなさんテレノイドを猛烈に押してくださる(笑)
北:いやあ、でもコミュニケーションロボットの領域で最先端は石黒先生と僕は思ってます(真顔)
ちょっとでも概念を広げようとしているのはくまかなと思いますよ。
進化の伸びしろがなくなるほど洗練されると、ミニマムな要素になると思います。
テレノイドはそういうものなんじゃないですかね?
金:うーん、ユーザー自身が妄想や欲求をぶつけられる素地だったらいいのかなとは思います。
今まではなしてきた皆さんともそういう話をしているし。
どういう世界を実現するのかは少し迷っていますけど。
北:うーん、前段で話したGoogleもそうなんですけど、よくわからないけど便利とか、落ち着くとか、そういう動機で使われればいいのかなと。
資本主義の中では勝手にお金がついてくるようにしてくれる気もするし。
理屈とそうじゃないものがどちらが先に行くのかわからない。読めないから。
やったもん勝ちなところはあると思います。
金:そうですね。
テレノイドは体験をまずしてみたいです。
新しすぎて見ただけではわからないから、体験をしてみたい。
北:僕は、テレノイドを体験した時は、得も言われぬ、文字で表現できない感覚が沸き起こりました。
ロボットに関わって以来、1,2を争うくらい強い新鮮さ?でしたね。
弊社代表と行ったんですけど、なんだこれ!みたいな。
ふたりとも衝撃を受けたんです。
でもお互いに文字にできないんですね。でも共通体験として盛り上がれる。
金:やまざきさんと話をした時も、新しい物って「ソレ」とか「アレ」とかなんですよね。
「お前、アレじゃね?」「アレ、アレ!」みたいな(笑)
北:誰かが最もフィットする言葉を発明してくれるんでしょうね。
そうするともう、「アレ」は世の中に浸透しているのかもしれない。
僕もネットが浸透していくさまを見てきたので、そう思うところがあります。
金:(あっ、案外真面目に返された…)
■やっぱり石黒先生は最高峰
北:僕は今、石黒先生の著作を読んでいるんですけど、やっぱり先生は突き抜けてますね。
今、ロボットとか、Pepperとかやっている人がしている議論は、だいたい石黒先生が通ってきた道のように思えてきて。
哲学的な側面とか、UI/UX設計とか、何をとってもそう感じます。
金:皆さん仰いますね。
私も、イシグロイド、ジェミノイドを見た時に、これはロボットだけでなく、色んな物のデザインをつきつけられていると思いました。
人を再現しているんじゃないんですよね。
人間とは何か、とか、生死の概念を変える、とか、人との関係性、社会における生死とはなんだろう、と思わされました。
北:そうなんですよ。
大学とも、イシグロイドが講義をしても講義料は発生しないけど、ご本人が講義すると発生する。
では、毎回僕がロボットでない、人間であるとどう判断しているのか、ということを仰っているのを見ました。
もう人間の定義が揺らぐんですよね。
金:バイオアートやバイオ融合プロジェクトのようなものの中でも、従来の価値観を覆すような、そういう議論があります。
材料を細胞にしただけで、なぜ部品に倫理が発生するのか、とか。
生死の境ってどこなの?みたいなこともありましたね。倫理観と疑問提起性の両方が混じった議論でした。
石黒先生の活動そのものが、改めて物事を見直すきっかけになっていますね。
私は、好きも嫌いも強烈な「関心の高さ」だと思っていますが、石黒先生は人間にとても関心の高い方だなと思います。
北:これは…機会があれば是非、テレノイド体験をして、体験している自身を客観視してみたいです。
で、石黒先生にもお話伺いする機会あるといいですねえ…。
■インタビューを終えて
北構さんは、観察者としての観点が多く、詳しいんだけど、広い、みたいなお話が聞けました。
後、こっちの話を引き出すのが上手い!言語化もうまい!さすがっす…。
くまきゅは「きゅっとされたい」人が多い一方で、「きゅっとします」という能動型で仰ったのも興味深かったです。これからもユーザーとしてのデータ提供をよろしk、いや、なんでもないです。
石黒先生推し…はわかるんですけど、最高峰は高いところにあるのです…。(ゆるくてとても許されない感あります…